生きる世界線を変えて、ありのままの自分で生きる

その「前提」が自分を苦しめている

スピリチュアル界隈では、私たちは生まれる前にあらかじめ、どんな家庭に生まれ育てられるのかを親の魂と自分の魂とで合意を得て決定している、とされているそうです。

その話を初めて聞いたのは、心理学や潜在意識開発の書籍やサイトを読み漁り自分に何が起きているのか理解できてきたものの、そこからどうすれば心の問題を解決できるのか、あれこれ試したりして方法を模索し悩んでいた頃でした。

そうして苦しんでいた最中に出会ったのが冒頭のようなスピリチュアルです。宗教2世として苦しんだ経験がある自分にはにわかに信じ受け入れ難いところはあるものの、あくまでも「考え方の一つ」として参考程度取り入れてみることにしました。

「親ガチャ」という言葉がありますが、「親子の魂の合意」はその逆を行くものです。誰も生まれる前のことなど知る由もないだろうに、もうここまでくると何でもアリなんだなと、むしろ新鮮な気持ちにすらなりました。

でももし本当に「生まれる前に自分の意志で決定したこと」であるのなら、「なぜうちの親はああなんだろう」という「親子とは本来こうあるべき」という前提のもとに生じる期待を裏切られた感覚は、間違いであることになります。なるほど、それはそれで新しい視点だなと思いました。「『子は親に愛されて当然』ではない」といった、世間での非常識が成り立ってしまうということになります。

この多少「ぶっ飛んだ」説は、私自身の自分の生い立ちを呪う思考のクセを、徐々に消し去ってくれました。子が親に愛されることが当然でないのなら、親に(自分が望むような形で)愛されなかった事実に執着する必要もありません。親は私の人生の登場人物の一人に過ぎず、それ以上の存在でもないのです。ふてくされているわけではありません。良し悪しもなく、ただただそう思うのです。もちろん「許す」のとも違います。「子は親に愛されて当然」という前提があるから苦しむのだと思います。

ちなみに筆者の場合は、祖母の代から引き継がれた「育児の負の連鎖」である自覚もあるので、母もまた毒親に育てられたという点では「しょうがない」と感じています。

…と、今ではここまで心を落ち着かせることができるようになりましたが、メンタルの不調が悪化していた時、特に希死念慮があった頃は、全くこのようには思えませんでした。

そんな筆者が負のスパイラルから抜け出せたきっかけは、「自分の中の依存心に気が付いた」ところにあります。