生きる世界線を変えて、ありのままの自分で生きる

それは事実か妄想か

私はよく不安に苛まれることがあります。

生きる世界線を変えて後ろを振り返らず今に生きたいと考えますが、問題を放置するようで気になって仕方がありません。「今に生きる!」→「でも…」を延々繰り返します。そのことで悩んだとき、ネットで見かけたのが「その不安は妄想ではないか」といった視点でした。

確かに心当たりがありました。まだ起こっていない最悪の事態を恐れて憂いていたのです。良く言えば「転ばぬ先の杖」ですが、悪く言えば「疑心暗鬼」です。犯罪の記事を見かけようものならば、娘に格闘技を習わせようか本気で考えるくらい、正真正銘のビビりです。世界一最強の格闘技がシステマ(ロシア軍由来の格闘技)と聞けば、YouTubeでシステマ関連のチャンネルを登録しました。性犯罪の記事であれば発狂しそうになります、娘が心配で。娘に何かあった場合に、相手に社会的制裁を加えるための力(権力・金)が欲しいと本気で考えたこともあります。

…こう、自分で書いてて呆れますが、悩んでいるときは本気なのです。でも現実は、娘が何か犯罪にあったりあいそうになったわけではありません。全て「妄想」です。有効な解決策を案じるならまだしも、やっていることは「悩んでいるようでただ妄想しているだけ」です。こんな世界線では目に映るもの全てが敵に見え、今いる世界が危険で安心できないもになります。

木(この世の一部分、たまたま見かけた犯罪の記事)ばかり見るのではなく森(世の中全体、現実)を見る視点が必要です。自分やできごとを客観視したいと思います。そこで「抽象度を上げる」という考え方があります。