生きる世界線を変えて、ありのままの自分で生きる

何故かいつも損ばかり(後編)

こちらの記事の続きです。

前編に書いた仕事仲間も夫も、何も私を陥れようとしていたわけではありません。どちらも自分自身のために、嫌なことは嫌だと「きちんと」断ったり線を引いたりしただけなのです。

それに比べて私はどうでしょうか。「空気を読んだ」とか、「誰かがやらないといけない」とか、「ここは自分が我慢すれば済むことだ」とか、何かしら理由を付けて、自分を差し出して犠牲にしたのです。「真面目に実直にやっていれば誰かに気が付いてもらえる」、そんな風に思っていた節もあります。自分の身を削って対応しているので一見自立的に見えますが、相手が自分自身とはいえ「誰かに押し付けて」あとは「誰かに気が付いてもらえるのを待っている」のは、やはり依存的だと思われます。

ではどう立ち回ると依存的ではなくなるのでしょうか。個人的には「(自分を含め)犠牲者を一人も出さない」ことだと思っています。

そのためには、一人で我慢して抱えるのではなく、困っていることを素直に相談する必要があります。生きづらい私たちは人に頼みごとをするのが苦手かもしれませんが、頼むのではなく相談するのです。調整や交渉とも言えます。我慢を爆発させてキレてしまう前に、建設的に話し合えば良いことです。この姿勢は相互依存的だとも言えそうです。

もちろん、明らかに不遇な対応を受けている場合は、やはりそれ相応の立ち回り方をして、自分を守ることも必要だと思います。仕事仲間のケース(「お客さんに内緒」のくだり)であれば関係性を疑ってみるとか、夫のケース(「妻が忙しくしているのが見えているであろう」点)であれば多少追及するとか、真向から争うのが難しいと感じるならその場から「避難する」ことも必要だと思います。いずれにしても「自分を含めて犠牲者を出さない」ことを大切にしたいと思います。

これは、他に関係者がおらず自分だけで完結するケースにも同様のことが言えます。つい自分に我慢を強いてしまいがちですが、日ごろから常に内省し自己点検をしておきたいと思います。

おすすめの書籍